忘れる事は無いが・・滅多に思い出す事も無い自分の20代の頃を〜
本棚の下の奥に積まれて変色した雑誌の束を紐解いて取り出すと〜
現れたのが当時のファツション誌「裝苑」の数册・・
先月の[GEODESIC]栗田氏のblogのエントリーに触発されて〜。
当時の自分が「裝苑」の本誌と別冊とに何度か彫金作品を発表していた。
JR四谷駅の近くにあった小池一子さんのオフィース「コマートハウス」で特集記事等の制作編集をしていた、友人の千葉ちゃんがスタッフで私が呼ばれ何度か仕事をした。
当時はスタイリストと呼ぶ職種は無く担当のスタッフが、必要な品物・素材を東京中走り回って集めて・・撮影スタジオに持ち込んだ。 文化服装学院の円形建物内のスタジオの床・廊下に夥しい数の靴が積まれて置かれてあったのを記憶している。
☆「裝苑賞」を取りデビューして時代を作った有名デザイナーがコシノジュンコを始め何人も出現した。
☆週間平凡がパンチ・アンアンを出版して堀切ミロ・川村都ちゃん等が本格的にスタイリストとして誌面に名を登場させ・・デビューした。
☆ビートルズが初来日する前後の事・・恵比寿の「バンタン」菊池織部の蔵のスタジオで仕事をして〜夜中過ぎ集って来たモデルやスタッフ達とサイケに塗った地下室のハレーションの渦中で踊ったりした。
この時の主要スタッフの立花君が「ラッポさん・・弟がどうしてもロンドンに行きたいと言うんだよ〜」その弟がしばらくして「ドゥーファミリー」を作った事を知る。
だれかのTBかと思えば、ラッポさんではありませんか。
そういえばこのエントリーに書かれたようなお話は聞かせてもらったことはなかったですね。
掲載してある古い装苑の1冊にモデルの丘ひろみさんが写っていました。なつかしい!
投稿情報: 栗田 | 2006年7 月16日 (日) 23:01