現在では残り少なくなった「同潤会アパート」が〜
メトロ銀座線の稲荷町駅から歩いて数十秒の所にある・・
最近はスルーしていたが、何か呼ばれた気がして寄ってみた!!
三四年ぶりに触れたアパートは、清洲橋通り沿いに並ぶ路面店の床屋・Bar・クリーニング店・居酒屋は現役で営業を続けていた・・。偶然と云うか昔に何度か通っていたここの床屋の角を曲って入ると、古色帯びたレンガ造りの門柱に「上野下アパート」の木札があった。
そして建設当時に植えられたであろう横の銀杏は最上階までの高さがあり少し黄葉が見られた・・それと前回もあった塀の上で跳ねて踊るアロエは更に一回りも大きく育っていた。
「同潤会アパート」は,今からは遠い昔となってしまった関東大震災後の復興計画の一大事業として〜東京都によって、居住性と、耐震と、防火を、考慮して建設されたのです。
◆かっての都市の記憶を知る手懸かりとして、貴重な建築資料との声もあるが〜老朽化して順次に取り壊された結果、現存するのは一つか二つとなっている・・・◆
ー台東区東上野5丁目ー
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